最大の役割は「自分」を生きること
娘が数か月前から、私のことを「おかあさん」と呼ぶようになった。
「ママ」より「おかあさん」の方が大人になった気がするからだそうだ。
それなのに、今日ふと気づくと、未だに私は自分のことを「ママ」と呼んでいる。しかも、娘がいないところで一人ごとを言うときでさえ、「ママ」と呼んでいるではないか
。
最近、母親としての役割に対して、役不足というか、罪悪感のようなものをなかなか手放せなかった私。
これを機に、「ママ」でも「おかあさん」でもなく、私は自分のことは「私」と呼ぶことにした。
母親としての役割の呪いをかけていたのは、私自身だったのかもしれない。私はこの世界にたった一人なのに、「私」と呼んであげられるのは私だけなのに。
母親であることは変わりないけれど、その前に「私」ありきなのだ。
世界が私に役割を与えたのだとしたら、それは「自分」を生きることだと思う。